飯田雅康は1967年11月神奈川県川崎市生まれた。

 

3歳から1990年に22歳でニューヨークに留学するまでの19年間を同県海老名市で過ごす。

 

父が横浜生まれの横浜育ちのチャキチャキの浜っ子で、幼い頃から横浜を頻繁に訪れ、横浜の文化が彼の感性の基本を作り上げたと語る、自称横浜人。

 

幼い頃から音楽と絵に没頭し、アニメの主題歌を片っ端から覚え歌い、雨の日にクレヨンで絵を描くことを好んだ。

 

 

 

 

 

留学先のニューヨークには約4年間滞在し、その間に二つのバンドでベーシストとして活動。

 

滞在中、自作自演のオリジナル曲を初めてスタジオで4トラックテープに録音する。その後帰国し両親と共に横浜で暮らす。

 

 

 

 

 

1996年に自身の音楽活動を開始したくロンドンに渡英。

 

2007年にイギリス人ギタリスト、ニール・メイソンと音楽デュオ、日英の感性を融合させた禅ポップを提唱するO-ARC(オーアーク)を結成。

 

2015年にO-ARCに新たな要素を加えるべく、画家活動を開始。

 

イスピレーションは同じところから降りてくると言うことから音楽、絵、媒体に関係なく同一の価値を持ち、自己表現の手段とし現在は両方の制作に励んでいる。

 

 

 

 

 

彼にとってアーティストになることはごく自然なことであった。

 

頭の中にあるモヤモヤとした抽象概念を外に吐き出したいというシンプルな動機だ。

 

まずその表現として音楽があり、15歳の時に作曲を初め、歌とギター演奏で抽象概念を表現した。

 

しかしこの時期から、かなりの精神的落ち込みの時期に入り、自分の存在価値までも否定し始めたが、感じた抽象概念をただただ吐き出したいという思いが曲作りのエネルギーになる。

 

 

 

 

最初に影響を受けたミュージシャンはビートルズだがルー・リードを氏と仰ぐ。

 

ルー・リードは多種多様な音楽と、詩的な要素をシンプルな一曲の中に全て取り入リ込め、しかもコンセプチャル・アートが持つ美しとをも取り入れてしまっているのだから、こんなことができる人間は彼を除いていないど豪語する。

 

彼の音楽はギャラリーで表現されるべきアーティストの音楽であると。

 

 

 

 

建築家のフランク・ロイド・ライトも影響を受けた一人。

 

日本のアートのコレクターでもあった彼の西洋の美と東洋の美の見事なまでの融合。

 

飯田はニューヨーク留学中、メトロポリタン美術館に展示されていたフランク・ロイド・ライト作の書斎を見たときの感動をこう語る。

 

「あまりの融合の美しさに、言葉が出なかった。

 

それはただ単に、真の美しさとは言葉で表現できることではなく、それを超えたところにある、と言うことではなく、(勿論ん、彼の表現は言葉を超えた真の美しさを持っている)しかしここではそう言う意味ではなく、一体どの言葉をこの特別な空間の中で使えばいいのかが、わからなかった。

 

つまり英語を使ってもしっくりこないし、日本語でもだめ。その二つの中間の言葉が必要。

 

唯一いうならば英日語、または日英語なる言葉が必要だが、そんな言葉は実在しない。」

 

つまり融合のバランスの素晴らしさに打ちのめされたのだ。

 

 

 

 

画家のマーク・ロスコも飯田に衝撃を与えた。。

 

ロンドンのテート・モダン美術館にある、ロスコの部屋に初めて入った時のことだ。

 

彼の絵をじっと見続けた飯田は、その空間の中にドボンと飛び込めるのではないかと思ってしまうくらい、絵の中に深遠で玄奥な壮大な空間性、霊的なものを感じたという。

 

自分は瞑想状態にいるのではないかと思うくらいだったという。

 

それはまさしく禅的なものではないかという確信。

 

 

 

 

彼の主な作品は紙の上に水彩で描かれてる。グーアッシュ絵の具、アクリル絵の具、日本の顔料もしばしば使う。

 

色的には黒はあまり使わない。

 

その理由としては、黒は全ての色を混ぜ合わせると出来る特別な色だからだ。

 

飯田は個々の色の個性を生かしたい。

 

そして書のように、一つ一つの筆ひつに全エネルギーを込めて、一気に描きあげる。

 

 

 

 

彼が作品を通して伝えたいことは二元性を超えること。

 

真実というものは好き、嫌い、良い、悪いなどの二元的なものではなくそれを超えたところにあると飯田は信じる。

 

それを絵の中で当てはめると、二元性とは足す事と引く事。足す事とは、筆ひつを残すこと。引く事は、その筆ひつの周りにある何もないは白紙の空間。

 

筆ひつと何もない無の空間は同一の価値を持つ。なぜなら、無の空間がなければ筆ひつは存在しないし、筆ひつなしでは無の空間は認識されない。 

 

筆ひつと白紙の空間が絶妙なバランスで存在する絵。それを実現させることが描くことの目的である。

 

そして、それが完成したならば目の前にある絵を見ることができなくなると言う。

 

まるで二つの正反対の波長を持つ音が同時に鳴るとそれらの音が聞こえなくなるうように。

 

しかし心の中には存在する絵。別の言い方をすればそれは死を隠喩する。

 

父の他界がそれを気づかせてくた。

 

飯田の父が病状の末期で施設に居たときには、施設にいけば父に会うことができる。

 

父の存在をそこで感じることもできる。しかし父はまだ自分の外側に存在しているもの。父と自分は二人の個人。

 

でも他界したあとはもう会うことは不可能。しかしその存在感を脈々と心の中で感じることができる。父と自分はまるで一人の人間の様に。

 

そんな心の中に存在する絵を描くこと。生の持つ歓喜を真に表現する作品。

 

 

 

 

そしてもう一つは東洋の美と西洋の美の持つハーモニーの美しさ。

 

飯田は西洋の美は足し算の美(足して行くことで何か新しいものを作ること)。東洋の美は引き算の美 (引いて行くことで核心に近づくこと)。

 

彼はこの差を長い西洋での生活で感じるという。

 

この二つの文化の要素を絵の中で絶妙なバランスで融合し伝えていきたいという。

 

それは横浜の街が東洋と西洋の共存の街であることが影響しているという。